そもそも日光御成道は, 徳川の将軍が家康をまつる日光東照宮へ参詣する際, 最初から日光街道(日光道中)を行くのではなく, 途中岩槻城に宿泊するため, 江戸から幸手まで岩槻経由の街道を整備したものである.
日光街道は日本橋から北へ向けて, 中山道と連れ立って出発するが, 室町で右折して分かれてしまう. 中山道は東大農学部の前の本郷追分で左折し, 一方, 御成道はそのまま直進し駒込へ向う. 王子, 志茂, 赤羽を経て岩渕で荒川を渡る. 東大前駅からは, 東京メトロ南北線沿いである.
荒川を渡ると川口. そこから鳩ヶ谷, 大門, 岩槻, 幸手の各宿と進む. 大門あたりまでは, ほぼ埼玉高速鉄道に沿っている.
今回の街道歩き. 一日目は昼から出発. 川口でまず善光寺へ寄ってみた. ここは善光寺号の機関車を陸揚げしたところで, それゆえ機関車は善光寺号と呼ばれることになる. 善光寺は東北線の荒川鉄橋から, 下流左岸の間近に見える青銅の屋根の寺院である.
その先の鎌倉橋の碑のところから, 13時半に街道歩きは始まった. 川口を通過し鳩ヶ谷に向う. 鳩ヶ谷変電所のところから105号線に分岐したので, 交通量は少し減る. 武蔵野線を東川口のあたりで越え, 大門へ. 大門は川口, 鳩ヶ谷に続くこの街道の宿場だが, もっとも宿場らしい落ち着いた通りであった.
やがて東北自動車道をオーバークロス. 今回はこの辺から, 足が少しずつ痛くなり, 野田の鷺山を過ぎた上野田で16時頃, リタイアした. 本来は岩槻までいくはずであった. その交差点から大宮駅東口行きのバスで帰宅した.
一週間後, バスで上野田へ戻り, そこから街道歩きを再開. 前回のように途中で足が痛くなったらどうするか, 心配した. 途中東武野田線の岩槻, 東武伊勢崎線の和戸, 東武日光線の幸手を通るが, それ以外は東武バスか旭バスがわずかに走っているだけだ.
まぁその時はその時とばかり, 歩き続けた. 幸いなことに, 今回は最後まで足は持った. 上野田を10時に出発. 11時半頃岩槻を通過. 65号線を歩いて, 幸手着15時であった.
こういう道でも, 一里塚はいくつか残っていた. 江戸から幸手まで12里なので, 全部あっても12個だが, その一つは一里塚を壊して岩槻区役所(もと市役所)が作られている. 相の原に一里塚が残っているそうだが, 気づかなくて残念であった. 一番ちゃんとしていたのは, 白岡下野田のであった.
膝子の一里塚
白岡下野田の一里塚
埼玉教育委員会編集 歴史の道調査報告書第二集 日光御成道 1984

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