2008年11月29日土曜日

Knuth先生の小切手

8月の米国出張の際, オークランドのFranz社を訪問した. 鉄道マニアの私のことゆえ, 往きは当然Bartで行ったが, 帰りはFranzの小俣さんがサンフランシスコまで車で送ってくれた. その途中サブプライム問題による売り家の看板をいくつも見かけ, 金融危機をいささか実感した.

ところでこの度, Knuth先生がTAOCPのエラー発見者に対する小切手発行を止めるというので, 金融危機が急遽身近かになった. 完全主義者のKnuth先生は, 自著のエラーを最初に報告した人に十進法で2.56ドル(十六進法で1.00ドル)の小切手を贈ることにしてきた. 小切手は通常は1ヶ月以内に振出人に戻って来るが, Knuth先生の小切手は殆んど現金化されないので(「cashedは僅かで残りはcached」だそうだ), 多くの小切手が世界中に残留しており, 口座番号が知られる危険性があり, 10010年に1度の金融危機の現状では放置出来ない仕儀と相なった.

その代りとして, Pincus惑星に支店のある, San Serriffe銀行に, 小切手受取人の口座を開き, そこに支払い証明(certificate)を積み立てることにしたというのだ. もちろんこれは架空の銀行で, われわれLisperならfoo銀行のbar支店というところである.

PincusとかSan Serriffeは, Knuth先生は好きらしく, TAOCP分冊0には, Pincus惑星の論理学者がどうのこうの(演習問題7.1.1-2)とか, San Serriffe島にはm羽の鳩がいる(演習問題7.1.1-41)とか, 出てくる. 私は漫画やSFには暗いので, これらの名詞がそういうものと何か関係があるかは存ぜぬ.

さて, その新システムの支払い証明がコンピュータ屋には面白い. いろいろ新機軸が見らる.

米国で暮した人は知っているように, ある受取人に2.56ドル渡す場合, 小切手には

Pay to the order of の次に受取人を書き, その右の方に $2.56 と書く.

中央の枠には綴りで Two and 〜〜〜〜〜〜〜〜 56/100 Dollars

のように書く. 従ってHundredとかThousandの綴りも知らなければならない. ドル以下は100分のなんとかと書くことになっている.

新システムにはKnuth先生の趣味がふんだんに見られ,

まず受取人の右の金額は十六進法で 0x$ 1.00 となる.

中央の枠は

One and 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 no/256 Hexadecimal Dollars

と変った.


これは実は私として, 大変気持ちが悪い. Knuth先生のホームページなどに, $2.56の由来が書いてあるが, 「256 pennies is one hexadecimal dollar」 がその理由だ.

私に言わせれば, 1は十進でも十六進でも1であり, one hexadecimal dollarはすなわち one decimal dollar である. 10016¢なら25610¢ = $2.5610で, これが理由なら納得出来る. 10016¢ !=10010¢なのだ.

エラー発見は$2.56であるが, 改良案を示すと32¢頂ける. つまり0x$0.20 である. 改良案2件なら 0x$0.40, 5件なら 0x$0.a0, 7件なら 0x$0.e0というわけだ. そこで新システムの中央の枠だが, 改良案1件の場合

Zero and 〜〜〜〜〜〜〜〜 32/256 Hexadecimal Dollarsとなるのだろうか?

Zero and 〜〜〜〜〜〜〜〜 20/100 Hexadecimal Dollarsではないかと思うのだが.

さらに仮りにエラーを1210件見つけたら,

Twelve and なのかな. まさか C and とか書かないであろう.

問題は十六進の桁の読み方, A,B,...,Fの綴り方がないことである. 私は私なりの提案を持つが, それはまたいずれ.

追記 その後Knuth先生から32¢の支払い証明が送られてきた. 確かに0x$0.20とあり, 中央の枠には案の定

Zero and 〜〜〜〜〜〜〜〜 32/256 Hexadecimal Dollars

と書いてあった. 32¢を送る航空便には94¢の切手が貼ってあった.

2008年11月17日月曜日

萬葉集物語

1月ほど前, 新聞の出版広告を見ていたら, 思いがけず「森岡美子著 萬葉集物語」が復刊されたとあった.

実はこの本は, 私が小学生の頃, 繰り返し読んだ思い出深い書物である. その頃の本は, 家が空襲で焼けた時, 一緒に焼けてしまったはずだ.

しかし本書を読んだお蔭で, 萬葉集に対する興味が深まり, 多くの和歌や少なからぬ長歌も諳じた.

ところで左様な昔の本が, 2/3世紀もたった今頃, 復刊されたのは, 驚きである. 実は私の読んだ本とは別に, 多少の手直しを経て, 戦後の昭和27年に冨山房から新たに刊行されていたらしい. 今回復刊されたのは, それであった. 早速求めて読み直したのはいうまでもない.

私が愛した本は, ところどころに色刷りのページがあり, そこには「あおによし」「田子の浦に」など有名な和歌が万葉かなで書いてあった. それが冨山房版にはなかった.

この本は, 言葉使いが大変ていねいである. 「みなさまは, どうお考えになりますか」という調子である. 私は地の文の文体までは覚えていなかったが, こうい調子の本であったらしい.

小学生のころ, 著者が森岡美子という方だとは知っていたが, 女子学習院で教鞭をとられていたことは, 今回知った. そして90歳を超されてご健在であった.

考えてみると, 昔の先生は言葉が一般にていねいだったようにも思う. 私が中学1年の時, 「みなさまが将来論文をお書きになるなら」という先生もいらして, われわれも大人になったのだと実感した.

それはとにかく, 昔の優れた本が, 復刊されるのは, 嬉しいことである.

2008年11月7日金曜日

酉の市

11月5日は一の酉だった. したがって今年は三の酉まである. 酉の市で人出が多いのは, 大鷲神社らしい. 以前, 何回か酉の市の晩に大鷲神社に繰り出したが, 熊手を求める人と, 冷やかしと, もちろんお参りの人とでごった返し, 身動きもままならない様子である.

今年は6月に竜泉の一葉記念館を訪れたので, その帰りに大鷲神社に立ち寄ってみたら, 誰もいなかった.

三の酉といえば, 三の酉まである年は火事が多いといわれる. しかし酉の日は12日毎にあり, 11月は30日なので, 三の酉のある確率は0.5になり, 2年に1度は火事が多いことになる.

世の中もそういう解釈らしいが, 三の酉はあるとすれば11月の25日から30日なので, かなり寒さが身にしみ, 火事と結び付いたのであろう. 三の酉がない年の二の酉は11月の19日から24日までになければならず, 酉の市の寒さの印象は異るのであろう.

酉の市の平均が2.5回あるのと同様なのが, 土用の丑の日だ. 夏の土用は立秋の前の18日間なので, 12日毎の丑の日確率は1.5になる. 二の丑のある夏は暑いといわれないのはなぜか.

ところで曜日も干支も, 閏や大小の月に関係なく, 正確に繰り返される. したがって計算は簡単だ. 一の酉であった(今年の)11月5日のユリウス日数は, 例の個人用電卓によると, 2454776で, そのmod 12は8である. 従って剰余と干支は

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
11 0 1 2 3 4 5 6 7 8 910

と対応することが分かる. (ユリウス日に1を足して12の法をとると, 0,...,11が子,...,亥に対応すると覚えた方がよいかも.)

同様なことは, 年の干支と西暦の間にもあり, 12で割りきれるのは申年, 60で割りきれるのは庚申である. これを知っていると壬申の乱(672年)は確に申年だと了解出来る.

昔のことだが, 三島由紀夫が自決したのは, 1970年11月25日. この日のユリウス日は2440916, mod 12はやはり8で, 実は三の酉であった.