2009年1月23日金曜日

開平法

江戸時代の和算の書, 塵劫記を岩波文庫で読んでいたら, 開平法の項があった. 「開平法を商実法により除之事」というタイトルである. 開平法は平方根をとること, 商実法はそれぞれそういう名称の3つの算盤である. これを除すること とは開平も除算の一種と思われていたからであろう. 商には除算の商と同じで, 平方根が得られる. 実には部分剰余を置く. 法には実から引く数を置く. 何々を法として...というのと同じだ. そう考えると, 和算用語はまだわれわれの周辺に存在していると気づく.

塵劫記では, 解法はすべて実例によるから, 「ここに15129坪有り. これを四方になしては, なにほどに成るぞといふ時に, 123間四方.」のような記述だ.

彼らはなにをやったか見てみよう. 下図参照. われわれの筆算での例も示す. 以下の(a), (b), (c)は下図のa, b, cに対応する.

(a) 「実に15129坪と置き, まず位を見る. 一十百, 一十百とかずへて, あがりたる時, 百と二度あたらば, 百の位と定め,」と始まる. 文頭の「実に」はindeedではなく, 「実という算盤に」の意である. 最上位が100の自乗の位置であることを見つける. 「商に百と置き, 扨, 下法にて, 百より又一十百とあがりて, 百と置き,」



4つ目の算盤は「下法」という名で(塵劫記には「下方」と書いてあったりする), いまは2桁左へシフトしてある. (算盤がずらして置いてある.) 商と下法に百と置くのである. 百の桁に置くのは分かるが, 平方根のその桁をどうして1と決めたかは書いてない.

「この上の法にて, 下法の百, 商の百をよぶ時, 1万坪と成り, 実で除之. 実に残りて5129坪有り.」

下法の百, 商の百を「よぶ」とは, 掛けることと思われる. 上の法にてだから, それを法に置き, 実から引くわけである. (ここでの「除く」は「引く」) 図中の入れ子の正方形の濃い正方形を引いたことになる. 筆算と比べれば, 左部分の a の行が下法, 中部分の a が実, 中部分の b が法である.


(b) 「商の百の次に2十と置く. さて, 下法をば, 1位下げて, 百を1倍して2百と置き, この下に又2十と置く. 」 昔の1倍は今の2倍のことらしい. 商に2十を置いたのは, 平方根の次の桁が決ったのである. この決り方も理由は不明. 百を1倍しで, 筆算の c の行の左の 2 が出来たことになる. 図でいえば1辺100の(下と左の)2辺分が出来た. 又2十を置くは, 正方形の図の薄い部分を引く準備で, 左下の薄い正方形の1辺を足した. 220に20を掛ければ, この部分の面積が得られる.

「さて, 法にて, 下法の2百に商の2十をよぶ. 22の4千, 22の4百, 此の4千4百を実にて引くべし.」 下法の200は220の誤りである. それに20を掛けて引く.

「実に, 残りて729坪有り.」

(c) 「商に, 2十の次に3と置く. 下法をば1位をさげて, 2十を1倍して4十と置く.」 これで e の 24 が出来た. 「此の下に又3と置く. さて, 法にて, 商の3をもって下法によぶ. 23の6百, 34の百2十, 33の9と置くとき, 法に729坪有り. これを実にて引きはらふ也. さて, 商を見れば, 123間四方に成る也.」

大体は分かるが, 平方根の桁に何が立つかの判定は勘によるのだろうか.


塵劫記には開立法, つまり立方根の求め方も書いてあった. 「坪数1728坪有り. これをたて, よこ, たかさ, おなじたけにしてなにほどぞといふ時に, 12間六方也.」私もまだこの開立法の解読はしていないが, この1728が12の3乗なことは覚えている人も多かろう. ところで坪は平方間と思っていたが, 立方間も坪というのかな.

9の3乗=729も覚えている人に:
「彼(Ramanujan)がパトニーで療養していた時, 見舞いにいったのを(Hardyは)覚えている. 1729番というタクシーに乗ったので, その数には何の面白味もないといい, それが悪い予兆でないことを望むといった. 『いや』彼は答えた『それは非常に興味のある数だ. それは二通りで二つの立方数の和で表現出来る最小の数だ』」 (計算機プログラムの構造と解釈 第二版 203ページ 脚注70) 1729=123+13=103+93だから, Ramanujanでなくても知っていた人はいたに違いない.

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