2008年11月17日月曜日

萬葉集物語

1月ほど前, 新聞の出版広告を見ていたら, 思いがけず「森岡美子著 萬葉集物語」が復刊されたとあった.

実はこの本は, 私が小学生の頃, 繰り返し読んだ思い出深い書物である. その頃の本は, 家が空襲で焼けた時, 一緒に焼けてしまったはずだ.

しかし本書を読んだお蔭で, 萬葉集に対する興味が深まり, 多くの和歌や少なからぬ長歌も諳じた.

ところで左様な昔の本が, 2/3世紀もたった今頃, 復刊されたのは, 驚きである. 実は私の読んだ本とは別に, 多少の手直しを経て, 戦後の昭和27年に冨山房から新たに刊行されていたらしい. 今回復刊されたのは, それであった. 早速求めて読み直したのはいうまでもない.

私が愛した本は, ところどころに色刷りのページがあり, そこには「あおによし」「田子の浦に」など有名な和歌が万葉かなで書いてあった. それが冨山房版にはなかった.

この本は, 言葉使いが大変ていねいである. 「みなさまは, どうお考えになりますか」という調子である. 私は地の文の文体までは覚えていなかったが, こうい調子の本であったらしい.

小学生のころ, 著者が森岡美子という方だとは知っていたが, 女子学習院で教鞭をとられていたことは, 今回知った. そして90歳を超されてご健在であった.

考えてみると, 昔の先生は言葉が一般にていねいだったようにも思う. 私が中学1年の時, 「みなさまが将来論文をお書きになるなら」という先生もいらして, われわれも大人になったのだと実感した.

それはとにかく, 昔の優れた本が, 復刊されるのは, 嬉しいことである.

1 件のコメント:

Shitohichi さんのコメント...

ギリシャ語,ラテン語,英語,(日本の)古文など,古い言葉の方が文法などの点でより複雑に感じることに不思議さを感じていました.私は実際に言語の複雑度を定義して定量的に示しているものを存じ上げているわけではなく,単なる感じしか持ちあわせていません.しかし,世界の言葉は単純化の方向に進んでいるように漠然と感じます.昔の人の方が賢かったのだろうか,などと思うこともあります.

かつて言葉が人との対話ではなく,神との対話の手段として考えられていたというある人の見解をみかけた時,ふと思ったことがあります.言葉が神との対話の手段であれば,それは美しく複雑であったのも理解できる気がします.もしかしたら言葉は最初単純であったかもしれません,そして神との対話のために複雑になり,神が権威を失ないつつある時代には単純になるのかもしれない.と,妄想めいた考えをもてあそんでいます.神代が現実のものとしてあった時代のこの本に興味を持ちました.